スキー凸凹研究所 私の(スキー)履歴書(3) カナダ ウイスラーからバンフへ

スキー・スノーボード・雑記

スキー凸凹研究所 私の(スキー)履歴書です。
まだの方は、(1)からお読みください。

私の(スキー)履歴書(1) 幼少期~大学生 はこちら
私の(スキー)履歴書(2) 就職、そしてカナダへ(ワーキングホリデー) はこちら

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カナダ ウイスラー・ブラックコム

フリー滑走

過酷な年末年始を無事乗り切り、1月後半になるとスキーガイドの仕事も落ち着いてきます。
休みの日は寮でくつろぐもよし、滑りに行くのもよし、ただ、特にこれと言ってやることもないので、滑らなくても事務所に顔を出し、他の人の仕事を見ていたりしました。
順番で休みを取るので、滑りに行くのはだいたい一人です。
ご存じの方も多いと思いますが、ウイスラーには、ウイスラーとブラックコムと呼ばれる2つの山があり、共に約100の名前のついたコースがあります。
(現在は、ゲレンデが拡張されハイクアップする場所にもコース名がついています)
コンプ好きの私は、全200コースを滑ることを目標にしていました。
コースはレベルにより、初級(グリーン)、中級(ブルー)、上級(ブラックダイヤモンド)、超上級(ダブルブラックダイヤモンド)となっています。
ただ、このレベル分け日本のスキー場の感覚で滑ると痛い目にあいます。
私のイメージだとカナダと日本のコース表示の違いは次の通りです。

カナダ ⇔ 日本

  • グリーン ⇔ 初・中級
  • ブルー  ⇔ 中・上級
  • ブラックダイヤモンド    ⇔上級・コース外
  • ダブルブラックダイヤモンド ⇔ 滑走禁止エリア

普段、お客様をご案内するのはブルーまでで、たまに整備されているブラックダイヤモンドを滑ります。
不服そうにする方も多いのですが、ブラックダイヤモンドにお連れするとガイドが大変な目にあうこともあるので(^^;

話を元に戻すと、ブラックダイヤモンドは、急であったり、ボコボコであったり、岩場の中を滑ったりと滑走の難易度の幅があります。
しかし、ダブルブラックダイヤモンドは、どこも間違いなく恐ろしいところばかりです。
滑るというか、降りるという表現が正しいような場所で、それでもなんとか制覇を目指そうとしましたが、シュートと呼ばれる幅1、2mメートルの岩の裂け目を滑るコースだけは、足が震えて挑戦することができませんでした。
そんなこんなで、全コース制覇はできず、片手ぐらい滑っていないコースがあります。

 

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バンフ(レイク・ルイーズ)

異動

ウイスラー・ブラックコムを楽しんでいたある日、ガイドの1名が交代要員としてバンフに行くことになりました。
バンフには2名のガイドがおり、シーズン半ばで交代する予定でしたが、そのうち1名はバンフが気に入り、そのまま残りたいとのことで、1名が交代要員として行くことになりました。
私は、ウイスラーに残りたかったのですが、ご指名をうけバンフに向かうことに。
赴任先はバンフから車で1時間ぐらい先のシャトー・レイクルイーズと言う場所で、レイクルイーズ湖畔に一軒のホテルがポツンとある場所です。
カナディアンロッキーのパンフレットの表紙を飾ることが多く、日本人にとって、カナダで最も有名なホテルだと思います。
裏手にあるホテル従業員用の寮の一室が事務所兼宿泊場所で、一人ですべての業務をこなす必要があります。
チェックインからチェックアウトまでの手順は同じで、加えてバンクーバー事務所や、カルガリー空港で出迎えるガイド、バスの運転手とのやり取りも全て一人で行いました。
ちなみに、もう一人はバンフにあるバンフ・スプリングスホテルの近くに宿を構え、ガイドをしています。
お客様の到着翌日のガイドは、ホテルからバスで15分ほどのところにあるレイクルイーズ(スキー場)で行います。
この地域は寒いことで有名で、冬の間は暖かい日でマイナス10度ぐらい、マイナス20度を下回ることはざらです。
そのおかげで、ゲレンデは常にアスピリンスノーです。
パウダー(粉)スノーではないですよ。
寒すぎて雪の結晶はバラバラに砕け細かい針状になり、毎日サンピラーを見ることができます。
何度かマイナス30度を下回り、極寒の中でガイドをすることは大変なことでした。

こちらの方に、詳しい体験談を書いています。
零下30℃のスキー場 Lake Louise Ski Resort はこちら

バンフは夏の観光地で全世界から年間400万人が訪れますが、スキー客はその10分の1にもなりません。
多くの日本人ガイドが住んでいますが、スキーガイドをしている人は少なく、フリーで滑っています。
そんな理由から、ウイスラーの時と打って変わって、ガイド仲間と滑ることが多くなりました。
スキーガイドの他に、ビデオを撮影後、帰国までに編集して記念ビデオを製作する人や、滑る姿を撮影するカメラマンもいました。
この写真は友達のカメラマンが、お客様が来る前に試し撮りとして写してくれたものです。

ホテルとスキー場の往復の日々を送っていると、さすがに変化に乏しく、たまにバンフの街に遊びに行きます。
カナダに来るきっかけとなった友達も住んでいて、また新しい友達もでき、誰かの家に大勢が集まり飲み食いをして、親しい友達の家に泊まるということを生活をしていました。
そんなある日の晩のこと、友達の家で話し込んでいると、窓ガラスをコンコンと叩くかすかな音が聞こえてきました。
既に深夜で、友達なら玄関の扉をノックするはずです。
外の気温はマイナス20度を下回っており、人がいたら大変です。
恐る恐るカーテンを開けると、なんとそこには巨大なエルク(大型の鹿)がいるではありません。
エルクが草を食べるために頭を下げた時に、角の先が窓ガラスに当たって音を出していたようです。
想像ができないかもしれませんが、雄のエルクは体重300kgを超え、肩高1.5m、全長2.4m程度にもなり、地元の人は怖くて決して近づきません。
窓ガラスを壊すことなど造作もないことで、エルクが去っていくのを確認するまで寝つけませんでした。

大事件

バンフは内陸で乾燥していて雪が少ない地域ですが、それでも1、2週間に1回ぐらいは5~10cmの雪が降ります。
アスピリンスノーで握って固めることができないくらいサラサラで、パフパフの新雪とはなりませんが、それでも新雪が降ると楽しく、ノートラックを探し求めます。
ある新雪の降った翌日、数年前に正規のコースとなった場所ですが、当時はバウンダリー(スキー場の境界線)の外側、いわゆるバックカントリーエリアを楽しんでいました。
当時は何も考えず、地元の人が滑っているというだけで、全く知らないバックカントリーに入ってしまいました。
シュプールは沢山あり、その中の一本を追いかけて滑っていくと、なんと崖の上に出てしまいました。
崖にできた細い通路のような斜面が下まで伸びていて、その上にシュプールが続いています。
誰かが滑ったのであれば大丈夫だろうと思い、その細い斜面を滑り降りました。
崖の下に着き、合図を送り、友達が滑り始めると、直ぐにバランスを崩し崖から転落してしまいました。
10mはあったと思われる崖を、人形のように回転しながら落ちてきたことを今でもはっきりと覚えています。
地面に着くまで、ものすごく長い時間に感じました。
直ぐに落下地点に向かい、頭から落ちたので、動かしてはいけないということは分かりましたが、何をしてよいのか全く分かりません。
どのくらいの時間が経ったでしょうか、たまたま崖を巻いて滑り降りてくる人たちがいて、パトロールを読んでもらおうと、呼び止めました。
仲間の一人が、スキー場に戻り、もう一人が一緒に残ってくれました。
救急救命に詳しい人で、とにかく質問をし続けろと言われました。
一から十まで数えるように言ったり、朝食に何を食べたかを聞いたりと。
しばらくして、友達から「ここはどこ」と聞かれたときには、嬉しさと同時に頭が真っ白になりました。
なぜ自分がここにいて、どういう状況なのかまったく覚えていなかったのです。
そして、悠久とも思われる時間が経った後、ヘリコプターが飛んできて、友達をスキー場の駐車場まで運び、そして救急車でバンフの病院まで運んで行きました。
私は、滑ってスキー場に戻りブーツだけ履き替え、駐車場から出ようとする車に片っ端から声をかけて、頼み込んで町の病院まで運んでもらいました。

奇跡の連続でした。
雪の上に友達が落下した場所の後がくっきりと残っていましたが、雪の間に除く岩と距離は数10cmほどで、ほんの少しずれていたら即○だったことでしょう。
また、落下場所は急斜面で着地の衝撃が分散されていました。
その後も、通りがかった人に助けられ、また天候に恵まれヘリコプターが飛べました。
そして、奇跡的に友達は目立った外傷や、後遺症も残らず、短期間で普通の生活に戻れました。
もし、ここで万が一のことがあったら、二度とスキーをすることはなかったでしょう。
この経験の後、一度もバウンダリーの外に出ていません。

スノーボード

そのシーズン中に友達はスキーに復活し、事故前と同じように一緒に滑るようになりました。
もちろん、ゲレンデ内です。

そんな生活を送っている時に、何かの拍子で他の友達がスノーボードをシーズンが終わるまで貸してくれるということになり、バンフの街でスノーボードブーツを購入しました。
GWまで日本からのツアーがあるのですが、4月に入りスキーツアー客も減り、1週間で4、5日はフリーです。
そのような状況なので、スノーボード三昧の日々を送ることになりました。
大学生の時に何度がスノーボードをしたことがあるので、木の葉は問題なくクリアし、ターンの練習を始めたのですが、スキーの癖で進行方向に胸を向けようとして、へんな捻りが生じ体が悲鳴をあげました。
ただ、大学生の時と違いスキーの足前が上達していたので、スノーボードで逆エッジになることはほぼなく、しばらくしてカービングができるようになりました。
当時のスキー板は鉛筆スキーと呼ばれていた時代で、見た目が真っすぐでカービングができる人はトップレーサーだけでした。
そんな時代に、スノーボードだと深いカービングをいとも簡単に行うことができ楽しくて仕方ありません。
これからはボードの時代だ、と思ったりもしました。

 

つづく

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