有名人の中にも、このブログをご覧になる方と同じぐらい、スキー、スノーボードが大好きな方がおられます。
プライベートで年に数回、というレベルではなく本格的に取り組んだことがある方をご紹介します。
#オリンピックなどで活躍された後に有名になった方は含んでいません。
選手部門
学生時代に本格的にスキーに取り組み、輝かしい成績を残された方です。
SHO(横田 昇平)
1982年6月19日生 岐阜県高山市出身
2002/2003アルペンナショナルチーム SL ランクC
ファーイーストカップ:優勝1回、2位1回、3位2回
2002/2003のアルペン日本代表男子で、皆川賢太郎、木村公宣、佐々木明、湯浅直樹の次に位置づけられ、ワールドカップで表彰台を狙える逸材でした。
残念ながら左足股関節の怪我を負い、その後思うような成績を残せず競技スキーを引退しました。
現在はラッパーとして活躍しています。
飛騨かわいスキー場で行われたスラローム大会の前走で、17年ぶりのゲートの滑りを披露しています。
凄いの一言です。
清水 アキラ
1954年6月29日生 長野県山ノ内町出身
冬季国体栃木県代表 :1973年~1978年
スピードスキー(キロメーターランセ):163.089キロ
清水アキラのスキー絶対上達講座 :英知出版
出身地からいって、バリバリのスキーヤーです。
昔、テレビの企画で縫いぐるみをきて滑ったりするシーンが多くありましたが、おちゃらけて滑っても足前が分かる滑りでした。
最近は自身のyutubeで滑りを公開しています。
60後半の人の滑りにはみえません。
田村 幸士
1977年6月28日生
全日本学生スキー選手権大会:3部で2度入賞
学習院大学体育会スキー部のアルペンコーチ
大学卒業後、スポーツマネジメント会社で皆川賢太郎選手をサポートし、ソルトレイクオリンピックに帯同されたようです。
父は田村亮、祖父は阪東妻三郎、伯父は田村高廣、田村正和と芸能一家です。
最近は、よくバックカントリーを楽しまれています。
HPには、出場した大会、雑誌のインタビュー、執筆などのスキー関連の活動がまとめられています。
田村 幸士 OFFICIAL WEBSITE はこちら
細川 護熙 元内閣総理大臣
1938年1月14日生 東京都出身
第41回冬季国民体育大会:大回転出場
熊本県知事時代の1986年に、冬季国体を盛り上げるために50歳手前で出場されました。
お殿様と言われていましたが、出身は東京なんですね。
きっと、若いときは華麗な滑りをされていたのだと思います。
SEIKIN(開發 聖也)
1987年7月30日生 新潟県中頸城郡妙高高原町(現:妙高市)出身
スキージャンプ
全国中学校スキー大会:7位
インターハイ :4位
ジュニアオリンピック:出場
全日本選手権 :出場
国民体育大会出場 :出場
中学・高校時代、本格的にスキージャンプに取り組んでいて、輝かしい成績をあげています。
先日、小学校卒業以来22年ぶりに履いたアルペンスキーの動画が公開されています。
数本の練習でキッカーを飛ぶところは、さすが元スキージャンプ選手です。
HIKAKIN(開發 光)
1989年4月21日生 新潟県中頸城郡妙高高原町(現:妙高市)出身
スキージャンプ
全国中学校スキー大会 8位
ジュニアオリンピック 中学の部 4位
SEIKINの弟、HIKAKINも元スキージャンプ選手です。
スポンサー部門
スキー好きが高じて、スポンサーになった方々です。
加山 雄三
1937年4月11日生 神奈川県横浜市出身
加山キャプテンコーストスキー場:1991年12月28日新潟県湯沢町に開業
2010/11シーズンまで営業
慶應義塾大学在学中に、国民体育大会に出場したことがあるそうです。
若大将は海の男のイメージが強いのですが、スキーも大好きでスキー場まで造ってしまいました。
今でも、スキー場の跡地は見ることができます。
遠くに見えるのは、左から岩原、旧加山キャプテンコート、湯沢パーク、湯沢中里です。
細川 たかし
1950年6月15日生 北海道真狩村出身
細川たかしマスターズ・テクニカルカップ
細川たかしワールドスキージュニア
北海道朝里川温泉スキー場や長野県よませ温泉スキー場で大会を開催しています。
始めてお会いした(遠くから見た)のは、20年ぐらい前、よませの大会で挨拶をされている姿でした。
大会では前走も務め、華麗な滑りを披露していました。
近年は、私のホームゲレンデで滑られており、よくお見掛けします。
なぜ、分かるかって?
それは、ウェアが、、、
写真もありますが、プライバシー保護の観点から掲載は控えます(笑)
神田 正輝
1950年12月21日生 東京都港区出身
山ノ内町観光大使
神田正輝カップ:志賀高原
1997年から毎年開催されていた神田正輝カップは、2023年2月、26年間の歴史に幕を閉じました。
神田さんはアンバサダーという形でノーギャラで参加されていましたが、主催者の方が高齢で大会を継続することが出来なくなったとのことです。
大会ホームページに写真が載っていますが、スキーの腕前もなかななものだと分かります。
(Wikiの説明は褒めすぎですww)
最後に
スキー好きの話を書いているだけで、嬉しくなってきました。
テレビで、スキー・スノーボード特集が増えて、スキー場が華やかになることを願っています。
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