まだの方は先にお読みください。
スキー凸凹研究所 私の(スキー)履歴書(1) 幼少期~大学生 はこちら
就職
大学を卒業し会社に勤めることになりました。
大卒の同期は5名で、入社前の情報で配属は4名が工場でエンジニア、1名が東京で営業と聞いており、県内にスキー場のある工場勤務を希望していました。
同期の中で1人だけ営業希望で他の4名の工場勤務希望だったので、安心しきっていたのですが、なぜか私が営業に配属されてしまいました。
車が持て、スキー場が近くなるという理由で選んだ会社だったので、東京勤務と聞いて落ち込みましたが、この程度のことでスキーへの情熱が衰えるわけはありません。
バブルのピークは過ぎたとはいえ、スキーバブルはまだ続いており、会社でも多く人がスキーを楽しんでいました。
学生時代と変わったことは、平日にツアーバスを利用していたのが、週末に友達の車でスキー場にいくことになりました。
ここで、学生時代に経験のしたことがなかった、スキーバブルの残りを経験することになりました。
ちょっと人気のあるスキー場だとリフト待ち30分が当たり前、レストランは人でごった返しいつ食べれるか分かりません。
帰りの高速道路の渋滞も当たり前で、昼過ぎにスキー場を出て帰りが深夜になることも普通でした。
今思えば、それでもスキー場に通っていた若いころの自分の熱意に感服です。
古き良き時代(?)会社の人と終業後は飲み歌い、週末は遊びに行くことが普通でした。
もちろん、毎年社員旅行もあります。
会社の先輩に雪国出身でテクニカルを持っている人がいて、一人だけぜんぜん違う滑りをしていました。
学生時代は、ただただ滑ることが楽しく、滑走技術などはあまり考えたことがなかったのですが、初めてスキー検定を意識しました。
ゲレンデ内であればどこでも滑れるので、2級なんてすぐ合格するだろうと思ってうけた初受験、箸にも棒にもかからず、井の中の蛙であることを思い知らされました。
受験者に夢を与える、スキー2級検定合格記 はこちら
転勤
入社3年目だったでしょうか、静岡県御殿場市に転勤しました。
東京に比べ、スキーをより楽しめる環境でした。
自分の車を持ち、毎週水曜日は会社帰りにイエティでナイターを滑り、週末は中央道方面のスキー場に向かうのが冬の間のルーティンになりました。
イエティの他にカムイみさかスキー場が1時間ぐらい、もう少し足を伸ばせばふじてんスノーリゾートがあります。
泊りで行くのであれば、白馬方面まで足を伸ばしました。
一時期、当時は珍しかった4人乗り高速クワッドでロングクルーズが楽しめる野麦峠スキー場にはまっていました。
スキー道具は車に積みっぱなしです。
日曜日の夜、渋滞を避け温泉に入り食事をとった後に高速に乗り、SAで寝てから会社に直行することもよくありました。
充実したスノーライフでした。
スキーの足前も順調に進歩し、70点オールですが、1級にも合格できました。
そんな時、東京に住んでいた時に、よくスキーに一緒に行っていた仲間の一人が、ワーキングホリディーでカナダのバンフに行き、ガイドを始めました。
海外スキーに憧れていたので、冬休みを利用してバンフに向かいました。
バンフでの生活は天国のようでした。
バンフは夏の観光地で400万人が訪れますが、冬の観光客はその十分の一にも満たず、現地のガイドの人たちは暇をしています。
滞在中の連日、友達とそのガイド仲間でスキー場ではしゃぎまわり、夜は毎日違う人の家で10名以上集まり大宴会です。
そんな生活を1週間送ると、よからぬ考えが芽生え始めてきました。
たった一度きりの人生、楽しんで生活しなと、と。
今でも信じられませんが、帰りの飛行機の中で会社を辞めることを決心し、正月明けに出社したその日に辞表を出しました。
実はその時、上司が変わったばかりで、初めての面談が退職の話とか、大変申し訳ないことをしました。
○○さん、すいませんでした。
1月末に会社を退職し、2月からその時所属していたスキークラブのつてで、今話題の某スキー場のスキースクールにお世話になり、5月頭頃にカナダに旅立ちました。
カナダ
始めはスキーをするのであればヨーロッパアルプスで滑りたいと考えていましたが、調べて行くうちに条件が厳しいことが分かってきました。
まず、ヨーロッパではワーキングビザを取ること難しく、貯金だけ過ごさなければなりません。
そして、英語コンプレックスを克服したいという気持ちもあり、英語を母国語とし、申請すればワーキングビザがとれるカナダに行くことを決めました。
ちなみに、その後どんどん申請者が多くなり、ワーキングホリディビザを取得するのは難しくなって行きました。
仕事をするためには英語を話せることが必須条件です。
日本から一番近い、バンクーバーでホームスティをしながら語学学校に通いました。
それと同時に、ウイスラーでのスキーガイドの仕事を探し始めました。
当時は海外スキー専門の旅行会社が数社あり、それらの会社のバンクーバー事務所に連絡をしたのですが、まだ早すぎたようで、募集を開始したら連絡するとのことでした。
8月頃になり、スキーガイドの募集が始まりました。
目星をつけていた複数のツアー会社に応募し、まず初めに第二希望の会社から内定の連絡があり、その後、そのことを第一希望の会社に連絡をしたら、特別に他の方より早く内定をいただけました。
後から分かったことですが、社会人経験があり(営業なので言葉遣いに問題なし)、1級を持っている人は現地では貴重な存在だったようです。
その後、冬までは英語を独学で学びながらシーズンインに備えていました。
独学と言っても、行ったことはただ一つ、日本人の友達をつくらないようにしただけです。
そうすれば、他の国から来た友達と遊んでも、町を歩いても、テレビを見ても全てが英語の勉強です。
冬になり、スキーガイド仲間と車でウィスラーに向かいました。
事務所は街中のホテルの1室で、寮は街中から外れ少し歩いたところにある一軒を借り上げて、10名ぐらいのスタッフ全員で生活をしていました。
この時、普通の鍋でご飯を美味しく炊く方法を覚えました(^.^)
仕事は日本からのツアーのお客様のチェックインからチェックアウトまでのサポートです。
到着の数日前に、お客様の名簿、宿泊するホテルなどの情報がファックスで届き、スタッフの割り振りが決まります。
ちなみに月給だったので、年末年始以外の繁忙期以外は、ローテーションでお休みです。
お客様が到着される日の午後にホテルに出向き宿泊者名簿の確認後、部屋の鍵を受け取り部屋の内部をチェックします。
新婚旅行の場合は日本から送られていくる名簿にチェックが入っており、その旨をホテルのフロントに伝えると、空いていれば部屋をグレードアップ、空いていない場合でも、メッセージと共にフルーツバスケットなどの差し入れがされます。
これは、ホテルのサービスです。
余談ですが、結婚後半年以内ぐらいであれば、普通の旅行でも新婚と旅行会社に伝えれば、いいことがあるかもしれませんよ。
お客様の宿泊されるホテルは1か所ではないので、何人もが手分けをして行います。
その後、事務所でバスの運転手からウイスラーの近くまで来たという連絡をうけ、ホテルに出向き、到着時間までロビーで待機します。
お客様が到着すると、宿泊中の注意事項と翌日からの予定を説明し、部屋への行き方を説明したのち部屋の鍵を渡します。
到着の翌日は、1日スキーガイドを行います。
ツアーにリフト券代が含まれている場合は、事前にリフト券を購入します。
(うろ覚えなのですが、前日にスキー場の事務所で買えたかもしれません)
集合場所でリフト券を渡し、ゲレンデをご案内です。
自己申告ですが、滑走レベル別に班分けを行い、ガイドが振り分けられるので、その班のレベルにあったゲレンデにご案内することができます。
私の勤めていた会社はスキーツアー専門で、観光のついでにちょっとだけスキーをしたい、という方はおらず、滞在中フルで滑り続けたいと思っている人ばかりでした。
もちろん、リピーターの方も多くおられます。
みなさん足前には自信をお持ちですが、広大なゲレンデで長距離を滑るという経験をお持ちの方は少なく、ランチ時には疲れた表情を見せ始め、ガイド終了の頃にはヘロヘロで、その後フリー滑る人はあまりいません。
疲れて、途中でガイドを離脱する方も、ままいました。
ちなみに、私がガイドをさせていただいた方の中で、ガイドと同様に滑ることができた唯一人は、今は無き某スキー場のパトロール隊長で、毎年海外で滑っておられるとのことでした。
チェックイン、チェックアウト、スキーガイド以外の時間はほぼフリーです。
毎日滑ることも可能ですが、多くのガイドは非番の日は寮でのんびりしています。
年末年始は繁忙期で30日ぐらい連続でガイドをしたことがありますが、毎日が辛く、人生で初めて滑りたくないと思いました。
まっ、数日休んだ後は、またフリーでも滑りだしましたが(笑)
つづく
コメント
ウィスラー在住の時、スキー用具は現地調達ですか?
毎日滑れる事ができる。と、毎日滑らなければならない。って違うんですね。。。涙
が、中毒が、重篤だったんでしょうね。。。
道具ですが、始めは日本から持って行って、2本目は現地で購入しました。
カナダで1日に滑る距離は、日本の1日の何倍もあるので、とても長期間連続で滑ることはできません(^^;
スキーブーツの加工を現地でお願いするとかあったら、英語バッチリじゃないとできる気がしません。。。
スマホ無い時代でしょうし。。。
そりゃあ所長さんがペラペラな訳だ!
尚私は日本語すら怪しい…
そんな時は、しゃべれる人を連れて行けばいいだけですよww