スキー凸凹研究所 私の(スキー)履歴書(1) 幼少期~大学生

スキー・スノーボード・雑記

一歩一歩、冬が近づいてきていますね。
私の事をXなどで最近知った人も多いと思うので、今までの雪山とのかかわりをご紹介したいと思います。

#このタイトルは、決してパクリではありませんよ(笑)

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幼少期

瀬戸内海の海沿いの町、雪とは無縁の地で生まれました。
初めて雪と出会ったのは3歳の時に、親に連れられてスキー場い行った時のようです。
背中におんぶされている白黒写真を見せられましたが、全く記憶にありません。
寒さでお腹を壊して大変だったと言われましたが、親の趣味に付き合わされただけで、しったことかよ、と子供心に思ったことを覚えています。

 

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小学生

雪とは無縁の地ですが、たま~に雪が積もることがあります。
ある年、雪が数cm積もったことがあり、親がプラスチックの板を買ってきてくれ、靴の上に履いて草の生えた斜面を滑った記憶があります。
ご想像の通り、足が固定されいないので立つことも難しく、直ぐにソリ遊びに変わりました。

 

中学生

中学1年か、2年生の時、今まで経験したことのない大雪が降りました。
といって、せいぜい5、6cmでだったと思います。
学校に着くと、ホームルームで1、2時限が自習時間になることを知らされました。
それも、全学年、全クラスです。
校庭に飛び出し、雪合戦をする人、雪ダルマを造る人、全校生徒が土にまみれたどろどろの雪と戯れていました(笑)
そのくらい、雪が珍しい地域でした。

なぜか、その数年は雪が積もることがあり、高校受験当日に大雪に見舞われました。
私が利用した電車は運よく動いてくれたので試験開始に間に合ったのですが、少しだけ山間部を走る電車は遅れ、受験できなかった人もいたようです。
中学校には暖房設備が無く、高校にはヒーターがあって感動しました。

 

高校生

高校2年生の時、希望者は課外授業として泊りがけのスキー授業を受けることができました。
まだ道が整備されていな時代で、沿岸部にある学校に集合し、バスで1日かけて鳥取県の大山スキー場に向かいました。
これが、初スキーです。
ブーツの履き方、板の持ち方、板の履き方から始まり、板を着けて平地を歩いたり、二の字(横向き)に斜面を登りハの字(ボーゲン)で降りてくることを繰り返しました。
この時は、リフトに乗った記憶がまったくありません。

次に雪に出会ったのは高校3年生の1月、大学入試センター試験の日でした。
運悪く、試験会場は大学の体育館で、ストーブが設置されていたのですが、そんなもので天井の高い体育館が温まるはずもなく、コートを着込んでも寒さを防げず、ガタガタ震えながら試験を受けていました。
高校、大学受験と、なにかと雪とご縁があるようです(笑)

 

大学生

大学に入学し、東京で一人暮らしを始めました。
入学後に始めに行うことのひとつにコース選択があります。
体育の授業は1年から4年生まで全校生徒共通で、1万人以上の人が受講するのでコースはうん百ありました。
週1回、年間を通して行うコースと、1週間くらいの合宿形式のコースがあり、その中にスキー合宿もありました。
合宿コースの方が人気が高く抽選となったのですが、運よく第一希望のスキー合宿に当選することができました。
このことが、私のスキー人生を決定づけたと言っても過言ではありません。

地方出身者と首都圏の高校生では生活習慣に大きな違いがあり、一人暮らしをしている人たちでかたまっていました。
そのなかで、たまたま長野出身の人がいてスキー合宿前にスキーを教えてくれるということで、神田でスキー道具やウェアを選ぶに付き合ってもらい、狭山スキー場に連れて行ってくれました。
これが、人生2回目のスキーです。

1月か2月か覚えていないのですが、スキー合宿(授業)は野沢温泉スキー場でした。
始めに班分けが行われ、10班ぐらいの真ん中の少し下ぐらいの班にになりました。
自分の滑りについては、全く記憶に残っていません(^^;
温泉街から日陰ゲレンデに続く道にスノーエスカレーター「遊ロード」ができる前、帰りにツルツル滑る道をスキーブーツでスイスイと滑っており人にびっくりしました。
食後の宴会で飲みすぎて、布団に大きな世界地図を描いた人がいて、翌朝、先生と同じ班の人が後始末に飛び回っていました。
普通なら出禁になりそうな騒ぎ方ですが、大学のOBが経営する宿なので、大目に見てもらえたのでしょう。
そして、最終日近く、上級班の人で、スカイラインから日陰ゲレンデに降りるグランプリコース(あるいはジャンピングコース)をかっ飛ばして、板が雪に刺さり、前転して足を怪我して強制終了した人もいました。
後から分かったのですが、その人は1学年上の先輩で、なんと道を挟んだ反対側のアパートに住んでいました。

このスキー合宿で完全にスキーにはまってしまい、その後の大学生活は、冬になると毎週のように新宿のKDDIビル前に集合し夜行バスに乗るか、友達に車を出してもらいスキー場に通うようになりました。

 

私の(スキー)履歴書(2) 就職、そしてカナダへ(ワーキングホリデー) はこちら

コメント

  1. ご無沙汰してます!

    所長さんの履歴書気になります。
    続きも楽しみにしてます!

    幼少の雪に対する記憶も、地域によって全然違いますね。
    私は毎年当たり前のように雪が積もっていたので
    あまり覚えていません。
    父が背負って滑ってくれて、スピード感と浮遊感は覚えています。

    • 新潟レジャースキーヤーさん、お久しぶりです。
      日常のあたりまえは、あまり記憶に残らないですよね。
      続き、楽しみにしていてください。