今後の展望、西武ホールディングス(プリンスホテル)のスキー場

スキー場 国内

2021年7月16日、各紙一斉に、西武ホールディングスがスキー場などを含む約40施設を1000億円超で売却する話を、投資ファンドなどと行っていると報じました。
2022年2月10日に、株式会社西武ホールディングスより、6か所のスキー場を含む31施設を、シンガポール政府投資公社(GIC Private Limited)の関連会社である Reco Pine Private Limitedに約1500億円で売却すると発表があり、2022年6月30日に譲渡契約が締結されました。
譲渡先は、Reco Sky Private Limited が直接または間接に出資する複数の関係会社です。
しかし、2023年3月23日、資産の譲渡にあたって同意を取得すべき第三者から短期間のうちに同意を取得することが困難であるため、志賀高原 焼額山スキー場を含む5施設の譲渡中止が発表されました。
2023年11月、妙高杉ノ原スキー場を日本の観光や地方創生に資する投資を行う不動産投
資会社であるペイシャンスキャピタルグループ(PCG)に売却
このことにより、最終的に譲渡を行ったのは6か所のスキー場となりました。

  • 2022年2月10日:基本協定書の締結
  • 2022年6月30日:譲渡契約締結
  • 2022年12月1日:3スキー場を譲渡
  • 2023年2月1日  :2スキー場を譲渡
  • 2023年3月23日:1スキー場の譲渡を中止
  • 2023年11月   :1スキー場を譲渡

2022年2月10日、当社グループのホテル・レジャー事業の一部資産に関する GIC との基本協定書締結のお知らせ はこちら
2022年6月30日、子会社における固定資産の譲渡に関するお知らせ はこちら
2022年12月1日、子会社における固定資産の譲渡に関するお知らせ はこちら
2023年3月23日、子会社における固定資産の譲渡の一部中止及び譲渡完了に関するお知らせ はこちら

 

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西武ホールディングス

西武グループ中期経営計画(2021~2023 年度)

今回の資産売却報道に先立ち、2021年5月13日に、西武グループ中期経営計画(2021~2023 年度)において、スキー場を含む保有資産のアセットライト化を行うと発表をしています。
具体的には、プリンスホテルが所有しているスキー場などの資産を流動化(売却など)を行い、運営は同社が引き続き行うというものです。
また、傘下の企業を再編成し、プリンスホテルが所有している資産(土地・建物等)及び資産管理機能を西武プロパティーズへ移管し、「新 株式会社プリンスホテル」は、運営に特化するとあります。
「新 株式会社西武プロパティーズ」が保有する資産は、基本、再開発を予定してい不動産のみで、アセットライト化の対象施設は年内をめどに確定する予定です。

西武グループ中期経営計画(2021~2023 年度) はこちら

西武ホールディング関連のスキー場

西武ホールディングス傘下の企業のうち、株式会社西武・プリンスホテルズワールドワイド(旧株式会社プリンスホテル)と西武鉄道株式会社が国内外にスキー場を所有しています。
プリンスホテルはスキー場とホテルを一体運営し、その数は国内9か所になり、日本3位のスキー場運営企業です。
新型コロナウィルスの影響を受ける前の2018/19シーズンは、苗場が約70万人、かぐらが約36万人、軽井沢が約34万人と、運営スキー場の利用者数合計は国内1位です。
譲渡が行われたスキー場は次の6か所で、スキー場に隣接するプリンスホテル、ゴルフ場なども対象に含まれています。
しかし、第三者から同意を取得することができず、志賀高原 焼額山スキー場を含む5施設の譲渡中止されました。
第三者が誰で、どのような同意が必要であったかは書かれていません。

西武・プリンスホテルズワールドワイド 所有のスキー場
  • 富良野スキー場
  • 雫石スキー場(譲渡日:2022年12月1日)
  • 苗場スキー場(譲渡日:2022年12月1日)
  • かぐらスキー場(譲渡日:2022年12月1日)
  • 六日町八海山スキー場(譲渡日:2023年2月1日)
  • 妙高杉ノ原スキー場(譲渡日:2023年11月)
  • 万座温泉スキー場(譲渡日:2023年2月1日)
  • 志賀高原 焼額山スキー場(譲渡中止)
  • 軽井沢プリンスホテルスキー場 
  • 松花湖スキー場(中国)
西武鉄道 所有のスキー場
  • 狭山スキー場

スキー場の簿価

企業が所有する固定資産には、取得金額から減価償却費を控除した簿価(帳簿上の価値)が存在します。
2021年3月31日を期限とする有価証券報告書によると、6か所のスキー場を含む施設の簿価が載っていました。
簿価の高いものから記載を行うので、他のスキー場を含む施設の簿価は、これらより少ないことになります。
実際の譲渡額とは別物ですが、簿価からみると約40施設で1000億円超、すなわち平均25億円/施設という売却額は妥当に見えます。

簿価:約387億円
  • 軽井沢プリンスホテルスキー場
  • ザ・プリンス 軽井沢
  • ザ・プリンス ヴィラ軽井沢
  • 軽井沢プリンスホテルイースト
  • 軽井沢プリンスホテルウエスト
  • 軽井沢プリンスホテルゴルフコース
  • 晴山ゴルフ場
簿価:約215億円
  • メットライフドーム(狭山スキー場が含まれます)
簿価:約116億円
  • 苗場スキー場
  • かぐらスキー場
  • 苗場プリンスホテル
簿価:約61億円
  • 富良野スキー場
  • 富良野プリンスホテル
  • 新富良野プリンスホテル
  • 富良野ゴルフコース
簿価:約17億円
  • 志賀高原焼額山スキー場
  • 志賀高原プリンスホテル

譲渡額

GICに26施設(含むスキー場5か所)が譲渡され、当初の計画から譲渡額が減額されました。
譲渡益には、取引に関連するアドバイザリー費用等を含む譲渡に係る費用が差し引かれています。

  • 譲渡価額: 1,237 億円
  • 帳簿価額:  608 億円(2022年3月31日時点) 
  • 譲渡益 :約 540 億円

(参考)2022年6月30日に発表があった31施設(含むスキー場6か所)の譲渡額と簿価

  • 譲渡価額:1,471 億円
  • 帳簿価額: 660 億円(2022年3月31日時点)

PCGに譲渡された妙高杉ノ原スキー場の譲渡額は非公表です。

 

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譲渡先

シンガポール政府投資公社(GIC Private Limited)

GIC Private Limitedは、旧名称がGovernment of Singapore Investment Corporationから分かるようにシンガポール政府の投資会社で、1981年に設立されています。
運用資産は2021年8月時点で、USD 744 billion(約86兆円)の世界有数の投資会社です。
全資産の約8%が不動産で、長期運用を行うことで知られています。

日本への主な投資
  • 1996年:汐留シティセンター(東京都)
  • 2007年:複合商業施設ホークスタウン(福岡県)
  • 2008年:ウェスティンホテル東京(東京都)

ペイシャンスキャピタルグループ

Patience Capital Groupはシンガポールと東京の2拠点で活動している不動産投資会社です。
日本国内の不動産市場への貢献を目指し、日本観光関連資産および東京都心部・首都圏の住宅資産に特化した2つのファンドを運営しています。
今回の譲渡先は、日本法人のペイシャンスキャピタルグループ株式会社か、シンガポールのPatience Capital Group Pte Ltd.のどちらであるかは不明です。

 

今後の展望

アセットライト化は、経営体力がある企業が負債の圧縮や手元資金を増やすために行う手法で、特別珍しいことではありません。
西武ホールディングスは2020年度決算で723億円の赤字を出しましたが、見事に黒字に転換しました。
今回のアセットライト化により、スキー場の所有者はGICとPCGになりますが、株式会社西武・プリンスホテルズワールドワイドが運営、株式会社西武SCCATがビルマネジメントを業務受託しました。
地方自治体が、所有するスキー場の運営を指定管理者に委託することと同じスキームです。
また、両者は賃貸収入を見込んでいるわけなく、長期運用によって投資資金の回収を行うので、短期間でスキー場を廃止する可能性は低いと思われます。

少し心配なのが権利関係者の反対で譲渡中止となった焼額山スキー場で、先行きが不透明です。

単位:百万円

  営業収益 経常利益 純利益
2023年3月期 428,487 20,133 56,753
2022年3月期 396,856 ▲17,440 10,623
2021年3月期 337,061 ▲58,785 ▲72,301

 

最後に

スキーと言えば「苗プリ」、という青春時代を過ごした私にとっては少しせつない話です。
スキー場に賑わいが戻ることを願ってやみません。

 

2023/2024 スキー場の運営会社変更、名称変更、リフト新設など はこちら

コメント

  1. 焼額山が譲渡中止とは残念 

    志賀高原はかつて白馬に肩を並べる魅力的なエリアだったが、多くの索道の利権があって外国資本が立ち入れなかった

    「ここを開発したのは俺たちだ。イヤならこの道を通るな」的に、志賀高原は和合会が牛耳っていて、プリンスのチラシにイチャモン付けて回収させるなんて事もあった
     
    長野オリンピックに向けて堤さんは岩菅山も開発し、最終的には、面倒な和合会エリアの道を通らず、湯田中からごりん高原スキー場のロープウエイを延伸して焼額山、さらには苗場までを繋ぐ構想があった   

    残念なことに岩菅山は自然大好き団体等の反対で通らなかった(当時、知人の嬬恋のスノーボードイントラが夏場にその団体の依頼でオオタカ探しのバイトをしていた)

    焼額山は温泉を掘っていたこともあり、「出た!」と聞いたが実現しなかったのはそんな諸問題があったからかもしれない

    長野オリンピックではスノーボード大回転でカナダのロスレバグリアティが優勝 その後マリファナでメダル没収(さらには没収を取消)なんて事もあったが、西館の大風呂の前にある入ってはいけない水溜に飛び込み、隣の女風呂の湯船の前に行く外人さんのほうが事件だった

    バブルがはじけリフト本数が間引かれる頃、堤さんがヘリで上空から焼額から奥志賀に向かうコースを見て 「これじゃぁ客が奥志賀のレストランにいっちゃうからここ(第三ロマンス)は閉鎖しろ」と言ったとか

    多くの皆さんはご存知ないが、当初ホテルは東館のみで滑走もマップ右半分のエリアだけ 

    一ノ瀬から焼額への今の広い道はなく、一ノ瀬から逆時計回りの細い道を走り橋を渡って奥志賀に、さらに奥志賀から左手前方向に進むと焼額山、つまり最奥のドンツキだった

    一ノ瀬からのダイレクトの道ができ、マップ左半分が開発されゴンドラももう一本増えたが手前が2ゴンで奥が1ゴんの名がついているのはそんな理由から 

    オリンピックで道が整備される以前の志賀高原は自動車ラリーの練習にもってこいの所でよく「何分切った」ってやっていたものです